ヴェネツィアのサン・マルコ広場。世界中から観光客が集まる水の都では、地下水のくみ上げによる地盤沈下と気候変動による海面上昇により、10〜12月はまちの至るところが浸水する。
森:「人が我慢することがSDGsになる」という考えではなくて、「環境に良いことが人の生活の豊かさにも通じている」と自然に受け止められる皆さんの世代に期待しています。
北海道東部十勝にある人口5000人のまち、上士幌(かみしほろ)町でまちづくりのアドバイザーを務める森傑先生。東日本大震災で被災した宮城県気仙沼市小泉地区では住民主導による集団移転をナビゲートし、2021年日本建築学会賞を受賞。既存のまちの骨格と歪みを分析し、未来を見据えた「まちの整体」を提唱しています。
東日本大震災が起きた時、僕は「奥尻シート」を拡散した
森先生のご専門は建築計画・都市計画。それも住民をはじめとする当事者と一緒に具体的な計画を立てていく実践にウエイトを置いています。その中でも被災地や過疎地をフィールドとするケースが多いですね。
森:ええ、先に自己紹介をしますと、僕は大学生時代に阪神・淡路大震災を兵庫県・尼崎市で経験しています。
震災が起きた当時は全国から集まってきた専門家や研究者が被災に関する調査をして帰って行く光景が見られ、地元では「瓦礫の一つも片づけないで調査ってなんなんだ!」という憤りの声がよく聞こえてきたものでした。
もちろん、そうおっしゃる被災者の人たちの気持ちもよくわかりますし、その一方で研究者の立場で考えると、そういう非常事態でもアカデミックに記録を残さないと将来の災害対策に生かすことができない、だから調査が必要なんだということも理解できます。
この両者の橋渡しのようなことができれば、という思いがあり、僕の調査・研究は常に実践的。被災や過疎を理由に新しいまちづくりが始まるときに、「今住んでいる人たちだけでなく、お子さんやお孫さんの世代にとってどんなまちにしたらいいのか」を住民と一緒に考えていく、という手法をとっています。
その手法を用いた取り組み《気仙沼市小泉地区の住民主導による集団移転》が2021年日本建築学会賞を受賞。東日本大震災で最大20mの津波に襲われた宮城県気仙沼市小泉地区の集落100世帯が、山側の高台への移転を余儀なくされた時に、国によって決められた移転計画ではなく、住民主導の計画による集団移住を成功させた好事例として国内外から高く評価されました。
この取り組みは1冊の書籍にまとめられています。『大好きな小泉を子どもたちへ継ぐために―集団移転は未来への贈り物』
森:東日本大震災が起きた時、僕はまず奥尻島に行きました。一瞬、自分も東北に行って支援活動をしたり現地調査をすることも考えましたが、阪神淡路の経験から自分にできることを考えた時に真っ先に頭に浮かんだのが、奥尻島だったんです。
というのも、1993年の北海道南西沖地震で奥尻島は津波によって甚大な被害を受けました。その後、復興のために巨額の公費が投入され、住民たちは高台に移転した。その先駆的な移転の事例が新聞記事や学術的なレポートでたくさん取り上げられていたんです。
それらの記事はきっと今回の東日本の復興に役立つだろうと思い、関連記事などの主要骨子をまとめ、さらには現地調査を行い、高台移転から20年近く経った現在の奥尻島で暮らす住民の声も聞き取って、それらをpdfファイルにして一気に拡散しました。それを僕は「奥尻シート」と呼んでいます。
その奥尻島での聞き取り調査で僕がすごく印象に残っている言葉があります。漁師のおじいちゃんが言った「復興支援のせいで漁師がやめれなくなった」という一言でした。本当は体力的なこともあり、そろそろ潮時だと思っていた。だけどそこに義援金やらがおりてきて船が新しくなったから漁師を続けなきゃいけなくなった、と…。
この話を聞いて考えました。これは果たして望まれた復興なのかと。一般に考える「復興」とは「元に戻すこと」だと思われがちですが、焦点を当てるべきは過去じゃない。20年後30年後の未来を見据えて、自分たちのまちをどうするかを当事者が自覚的に考えていかないと、この話のように意に沿わない形のお金がただ投入されることになる。
そのことを伝えたくて「奥尻シート」を拡散したら、それを読んだ小泉地区の方々から「相談に乗ってほしい」とご連絡をいただきました。小泉地区では40代50代の現役世代が中心となって協議会を結成しており、その後どのように高台移転を実現させていったかは、2013年に出版した『大好きな小泉を子どもたちへ継ぐために―集団移転は未来への贈り物』に詳しく書いたので、興味がある方は手に取ってみてください。
昭和の発想を脱ぎ捨てて「まちの整体」を考える
人口5000人の北海道上士幌町では現在どのようなまちづくりが進んでいるんですか。
森:「今、日本は人口減少が深刻だ」と言われても、実のところ、ピンときている人ってそう多くはないですよね。かくいう僕自身も北海道大学に赴任し、2011年から上士幌町と関わるようになってはじめて人口減少のリアリティを感じるようになりました。
これは先ほどの小泉地区にも通じることですが、もともと過疎化が進んで人が少ないところが「さあ、新しいまちづくりだ」と言って、また昭和のような感覚で大型商業施設を呼んだり、莫大な税金を使って全く同じ場所に同じ規模の公共施設を建て替えることに果たして意味があるのでしょうか。
まちは人でつくられているので、人の身体と同様に時が経つほど骨格が歪んだり、贅肉がついてしまったりする。特に日本は高度成長期に大都市をモデルにして日本中のまちが不必要に肥大化してしまった経緯もあります。
だからこそまちづくりにのぞむ今、もう一度自分たちのまちを健やかに整える、「まちの整体」を考えていきましょう、と呼びかけるところから取り組んでいます。
まちの機能を中心部に集約化する「コンパクトシティ」という言葉も最近よく耳にするようになりました。
森:まちを小さくすることだけが目標ではないので、僕は住民の方々にはなるべくそうした専門用語は使わないようにしています。
もともと都市計画の分野には「近隣住区論」――人口5000人くらいの規模を想定し、学校などの教育施設を中心に中心部から半径400mの範囲に住居や生活に関わる施設を配置する――という考えがあります。半径400m圏内というのが、ちょうど人が歩ける、歩きたくなる範囲であるということに基づいて1929年にアメリカの社会学者クラレンス・ペリーが提唱したものです。
上士幌町でもこの考えを取り入れ、半径400m圏内を「日常的に歩ける範囲」、さらに半径800m圏内を「ちょっと頑張れば歩ける範囲」と位置づけて、公共施設の配置等のグランドデザインを考えています。
例えば、半径800m圏外にある大きな公営住宅団地の移転も30年スパンで計画し、住人の方々には現在進行形で少しずつ中心部へ移転してもらっています。町民の活動範囲がまちの中心部に集中することでバスや鉄道などのインフラコストを下げられますし、自動車を手放すことも可能となり、エネルギー削減や高齢者ドライバーの問題にも対応できます。北海道では重要な冬の除雪コストも下げられますよね。
これは人づてに聞いた話ですが、すでに移転を済ませたおばあちゃんが「街中に引っ越してきてからゴミ捨てに出る時もちょっと洋服を気にするようになった」と笑っておられたとか。引っ越すまでは人目を気にすることがなかったけれど、今はゴミ出し一つとっても気持ちが変わってきたのだそうです。
僕はそれを聞いたとき、すごく嬉しくて。これこそが人としての生活の豊かさであり、まちづくりの真価なのではないかと改めて考えさせられました。
これから改修する役場や近い将来に中心部へ戻したい小学校もそれぞれ単体で考えるのではなく、小学校に体育館を新設する代わりに町営のスポーツセンターを使う、あるいは家庭科の調理実習は生涯学習センターの調理室で行うというような新しい発想も十分実現可能だと思います。
役場と教室が近ければ、役場勤めのお父さんと子どもがお昼になったら一緒にご飯を食べる光景も決して夢ではないかもしれない。そういう暮らしの豊かさを上士幌町で形にしていきたいです。
理想値と現実社会での落としどころをセットで提案
SDGs推進のために研究者や専門家に求められることはなんだとお考えですか。
森:SDGsの17のゴールは中高生の皆さんにも広く知られるようになりましたが、実を言うとどのゴールも各分野の専門家ならばもう何十年も前から喫緊の課題としていることで、決して目新しいテーマではないと思います。
それがなぜ今のように社会全体で考えるようになったかというと、やはり専門家だけではなかなか思うような理想の社会が実現しないから。専門家ではない一般の人々の力が必要だからです。
ですので研究職である僕がいつも心がけていることは、専門家としての理想値を提示するだけでなく、それを実現するにはまず、どんな一歩を踏み出さなければいけないかという現実社会での落としどころをセットで提示していくこと。
その一つ一つのステップへと住民をナビゲートしていくことが大切だと考えています。
特に北海道は車移動が当たり前だとか冬場の除雪とか、環境問題を考える以前に生活環境上の問題が多い。理想と現実の間を埋めることの重要性を強く実感しています。
未来の北大生に向けて期待していることやメッセージをお願いします。
森:SDGsという概念を10代の頃から耳にしている皆さんは、いわば《SDGsネイティブ》のような存在です。
そうすると、今の大人たちが抱きがちな「今までの暮らしは良くないから我慢して地球にいいことをやりましょう」というやや後ろ向きな思考にとらわれず、「環境のためにすることがそのまま人の暮らしの豊かさになるよね」と自然に考えることができる世代。僕はそこにすごく期待しています。
その時に意識してほしいことは、SDGsの17のゴールは全てリンクしているということ。僕が専門とする建築計画や都市計画も突き詰めると、17のゴール全てをカバーする内容になっています。
この統合的かつ総合的にSDGsを見つめる視点は、総合大学として様々な角度から社会問題を学ぶ北海道大学だからこそ身につけられる視点でもあると思っています。
森 傑 教授
所属:北海道大学 大学院工学研究院 建築都市部門 空間デザイン
幼少の頃から競泳に打ち込み、高校生のときにはインターハイに出場。絵や工作が得意だったことから、大学進学は建築分野を選んだ。2001年に北大へ着任することになり札幌へ。人口減少や少子高齢化の最先端である北海道は、サステナブルな生活環境を実現できる先進地であると考えている。