繁富:クリエイティブなものづくりって実は誰にとっても身近なもの。まずは自分の周りにあるAとBのものをかけ合わせてみると、そこから〈Something New〉が生まれます。

繁富(栗林)香織 特任准教授

繁富(栗林)香織 特任准教授 ※所属・肩書きは取材時点(令和4年10月)のものです

繁富(栗林)香織先生の専門分野はマイクロナノテクノロジー。工学と折り紙、工学と医学など様々な組み合わせの妙で画期的な〈Something New〉を生み出しています。大学院時代にベンチャー(起業)を経験したことで、研究成果を世に送り出すための起業も「ハードルの高さを感じることなく取り組めました」と語ります。

畳まれた状態から始まる「折り紙ステントグラフト」

日本の伝統文化の一つ、「折り紙」は海外でも「ORIGAMI」の名称で知られ、畳む・折るを活用した「折り紙工学」という研究分野もあるんですね。

繁富:そうなんです。私も室蘭工業大学の学部生時代は宇宙で展開できるソーラーパネルの開発のために、ラワン蕗の葉の折り畳みを研究しました。

英国のオックスフォード大学の博士課程では、折り紙工学を活用して医療機器の開発に取り組みました。
折り紙と聞くと、皆さん、紙が〈開いた状態〉から何を折ろうかと考えると思うんですが、実は自然界における葉っぱの成長や幼虫のツノはすごく綺麗に〈畳まれた状態〉がデザインのスタート地点になっています。
畳まれたものが徐々に開いていって完成形になるなんて、私たちにとっての折り紙とは真逆の発想ですよね。自然界から学ぶことは、本当にたくさんあるなと実感しています。

この〈畳まれた状態〉から始まるデザインをヒントに考えたのが、狭くなった血管を押し広げるための医療機器「折り紙ステントグラフト」です。
日本では「なまこ折り」、海外では「パイナップルパターン」と呼ばれる折り方を形状記憶合金に覚えさせて、体内で一定の温度になると徐々に開いていく構造にしました。
これなら体内に入れるのも容易になり、ステント自体の破損も少なくなります。

形状記憶合金シートにより作製された折り紙ステントグラフト

形状記憶合金シートにより作製された折り紙ステントグラフト。形状記憶の特徴により、34度(体温付近)で自己展開する様子。

大学には「これは!」と思う研究成果を直接自分たちの手で社会に送り出すために起業するという選択肢もあります。繁富先生も折り紙ステントグラフトの開発で起業した経験をお持ちです。

繁富:私の指導教員や学内の環境が起業に積極的だったこともあり、自然な選択肢の一つでした。この時起業に関するいろいろなことを勉強した経験は今もとても役に立っていて、起業に対するハードルの高さを感じない自分がいます。
無論、専門的な勉強は必要ですし、純粋な研究以外にもやるべきことはたくさん増えますが、「準備や環境が全部整ってから起業しよう!」と思うと、いつまでたってもできないもの。
勢いがあって、いいチームが組めそうなら、トライする価値はあると思います。

細胞を折る、2Dから3Dの世界に挑む細胞培養

帰国した繁富先生が次に取り組まれたのは「細胞折り紙」だとか。解説をお願いします。

繁富:例えば、新しい薬を創るためにヒトの細胞で試薬の効果を研究するとき、細胞はシャーレに入れて培養します。ですが、我々ヒトの体はそもそも立体でできているので、シャーレの平面上での培養とは厳密に言うと違いが生じます。
それに動物実験からヒトの臨床に応用できるようになるまでには何年も月日がかかり、病気で苦しんでいる患者さんをお待たせしている現状に関係者も皆、心を痛めていると思います。

こうした課題を解決するためにはヒトの細胞を立体的に培養する技術が必要であり、そのヒントはやはり折り紙にありました。折り紙と細胞(生体材料)をかけ合わせる「細胞折り紙」です。
実を言うと、この技術は他の実験からたまたま生まれたもので、調べていた細胞をうっかりマイクロニードル(針)で突いた瞬間にピューッと縮んだんです。それを見た瞬間、「あれっ?今の動き、使えるんじゃない?」とひらめきました。

この細胞が縮む力を活用して、培養する基盤に折り紙細胞を接着し、刺激を与えるとサイコロの2Dの展開図から3Dのサイコロが出来上がるように、立体的に折り畳まれていく。
その可能性に気づいて「絶対にできる!」と思いながら実験したときは、気持ちが高揚して手が震えたことを覚えています。
ここからさらに研究が進めば、開腹手術をしなくても人体の中の傷を修復するなど、さらなる医療の発展に貢献できるのではないかと考えています。

細胞折り紙

細胞折り紙の仕組みのひとつは、壁となる素材を細胞の牽引力で立体に起き上がらせ、接着させる方法

立体的に細胞を培養する技術で創薬研究も進めているとうかがいました。

繁富:ヒトのがん細胞を用いた細胞接着型3Dがん培養モデルに、北大医学部の宮武由甲子先生たちと共同研究で取り組んでいます。
がんの創薬研究はこれまでも目覚ましい発展を遂げてきましたが、実を言うとがん細胞の浸潤や転移などのふるまいをシャーレの平面上では精確に再現しきれていないという根本的な課題がありました。
そこで私の専門である半導体加工技術を使ったマイクロナノテクノロジーと宮武先生のご専門である病理学(実際に手術で適用した患者さんのがん組織)を融合して、がん病変の基本構造を体外で立体的に再現することに世界で初めて成功しています。

簡単に言うと、デバイス上にがん細胞が重層的に成長する足場のようなものを作ります。これによってこれまで薬で治りきらずに生き延びたがん細胞の正体、すなわち周りの死細胞を食べて死んだふりをするがん細胞のふるまいを視覚的にとらえることができました。
この培養モデルが完成すれば、がんの薬が効いている・効いていないの薬効評価につながり、がんの悪性度の判別も夢ではなくなります。
これからの創薬開発に活用してもらえるのではないかと思い、今、起業に向けて動いています。

皆が小さい頃に遊んだ折り紙がまさか、がん創薬にまで結びつくとは驚きです。

繁富:こうした新しい発見は工学、医学という異分野が融合したからこそできたことだと思います。私事になりますが、私は母をがんで亡くしておりまして、がん治療に対しては人一倍思い入れがあります。がんで苦しみ、悲しむ人たちを少しでも減らしたい。その思いで、がん創薬のイノベーションに取り組んでいます。

 

身近な掛け算から生まれる〈Something New〉

繁富先生は新渡戸カレッジの大学院教育コースでもゼミを担当されています。学生たちに伝えたいことは何ですか。

繁富:私自身がいつも思っていることは、自分の研究や活動がたとえ時間がかかっても将来的に人を助けたり環境を改善することにつながればいいなと、そういう道筋を次の世代の人たちに示すことができたらいいなと考えています。

学生の皆さんに伝えたいことは、課題に対していろいろな視点から試してみること。大学での学びは、成果を最優先する企業の研究ではありません。あまり直接的な解決法にとらわれずにクリエイティブな発想で自由に考えていってほしいですね。

「折り紙工学」という研究のユニークさもあるからだと思いますが、学生にはよく「先生はいつも驚くようなアイデアを研究にしていますが、発想の源は何ですか?」と聞かれます。
でもね、クリエイティブなものづくりって一部の天才みたいな人たちのひらめきから生まれるものだと思われがちですが、実は誰にとっても身近なもの。
「身の回りにあるAとBをかけ合わせてみたらどうだろう」という掛け算から〈Something New〉が生まれることだと思うんです。

私で言えば「日常で困っていることと折り紙やマイクロナノテクノロジー特徴を加えてみたら?」ですが、皆さんには皆さんの得意なことや気になることがきっとあるはず。
重たいスーツケースと自走できる車輪を足せばキャリーケースになったように、まずは身近なところから考えてみることを勧めています。

繁富(栗林)香織 特任准教授

性差に関係なく活躍できる社会に必要なことは何でしょうか。

繁富:女性研究者としてはやはりジェンダーイーコリティー(男女格差の是正)は気になりますが、それも「歯を食いしばってでも女性も研究者に!」みたいに声高に主張したいのではなく、「女性も工学の世界で活躍できるんだな」というごく当たり前の選択肢になる時代がきてほしいと思っています。

先ほどの起業もそうですよね。先に取り組んでいる人を見つけることができたら、「自分もできるかも」と自然に思えてくる。今の時代は女性も男性もいろいろな選択肢があるので、頭ごなしに「こうしなきゃ!」とは思わないで自由に考えてみてほしい。
私自身も、そういうことを気軽に相談してもらえるような教員でい続けたいと思っています。

プロフィール写真

繁富(栗林)香織 特任准教授

所属:北海道大学 高等教育推進機構 ※所属・肩書きは取材時点(令和4年10月)のものです

滝川生まれ。恵庭、静内、札幌で育つ道産子。大学では宇宙で展開できるソーラーパネルの開発を目指し、自然界でのモデルとしてラワン蕗の葉の展開と折りたたみ研究を行う。 米国留学時、医療の授業を受けたことをきっかけに、工学の知識を活かし医療に貢献したいと考える。 北海道大学の修士課程では医療機器の開発研究を、英国オックスフォード大学の博士課程では、折り紙の折りたたみパターンを利用した医療器具「折り紙ステントグラフト」の開発を行った。 以来、折り紙工学博士としてさまざまな研究を重ねる。 帰国後は東京大学で、マイクロ・ナノ加工技術を用いて細胞を折り紙のように折り立体的に培養できる「細胞折り紙」技術を開発。現在は北海道大学で、細胞折り紙技術を用いて再生医療の応用を目指して研究を進めている。