岡田:北海道大学の札幌キャンパスの景観そのものが、ここに暮らしてきた人々の歴史を物語る舞台。文化遺産と観光の持続可能な関係を考えるうえで理想の学び舎です。

岡田 真弓 准教授

岡田 真弓 准教授

岡田真弓先生が文化遺産と観光のあり方に関心を持つようになったのは、発掘調査でイスラエルを訪れ、世界三大宗教の聖地エルサレムと当地の人々の関係性に触れたとき。遺跡が持つ過去という時計の針を現代に進め、〈今、そこに暮らす人々の幸福度〉を向上させる文化遺産観光の可能性を、さまざまな利害関係者と話し合いながら広げようとしています。

文化遺産をめぐる多様な価値観を活かす観光をもとめて

文化遺産や遺跡の研究と聞くと、はるか昔にその土地に住んでいた人々がどのような文化や社会を形成していたかを出土品から解き明かしていく、というイメージがすぐに浮かびます。

岡田:わかります。実際、私も研究職を目指した動機は、今おっしゃったような観点から考古学に関心を持ったから。“遺跡は過去を復元するための貴重な史料である”という認識を持っていました。
それが大きく変わったのは、中東のイスラエルの発掘調査のため長期滞在していたときのことです。あちらに何週間も滞在していると、気がつけば調査チーム以外の地元の人たちとも接点ができて、お茶や食事に呼んでいただく機会が増えていきました。

そのときに遺跡に対する思いを聞かせていただくと、そのご家庭がユダヤ教徒かイスラム教徒かでも考えが異なりましたし、同じ信徒でも家庭によって意見が異なることもありました。
そうした彼らが遺跡に見出す価値観の多様性に非常に驚かされまして、それまで絶対視してきた学術的な遺跡調査の結果だけでなく、今そこに暮らしている人たちが現地の文化遺産に抱く価値観も、実はそのまちのアイデンティティーに深く影響しているのではないか、という新しい視点を持つようになりました。
このように現代に軸足を置いて考古学研究の意義、または遺跡や文化遺産の活用を考える学問を「パブリックアーケオロジー」と言います。

エルサレム

イスラエルの古都エルサレムはユダヤ教・キリスト教・イスラム教の聖地。ユダヤ教徒の精神的支柱である「神殿の丘(通称、嘆きの壁)」とイスラム教徒がのちに建設した岩のドームとアクサー・モスクが並び立ち、文化遺産が単一の文化・歴史だけで成り立つものではないことを教えてくれる。(中野晴生撮影)

2021年7月27日、北海道・北東北の縄文遺跡群が世界文化遺産に登録されました。その前後から縄文ブームが起こり、縄文時代や土偶を題材にした本やキャラクターグッズ、お菓子ができたりしています。この動きは、大学の学術的な研究に何か影響したりしますか。

岡田:現代の経済的あるいは宗教的な価値観をもとに現代人が「縄文文化」を再解釈している、という意味ではそれらの展開もパブリックアーケオロジーの研究対象に入ると思います。

「縄文、かっこいい!」という学術的価値以外のアプローチやチャンネルができて、遺跡や考古学の分野にファンが増えてくれるのはうれしいですし、そこに新しい現象や交流が生まれる面白さもありますね。

先生が関心を持つもう一つのテーマ〈観光〉と文化遺産はどのように結びついていったのでしょうか?

岡田:「オーバーツーリズム」という言葉を聞いたことがありますか?人気の観光スポットに過度に観光客が押し寄せることで地域住民や自然環境、景観などに悪影響が出てしまう状況を「オーバーツーリズム」と呼びます。

地域が受け入れ可能、あるいは受け入れを望む以上の観光客が来るオーバーツーリズムへの対処を考える際にキーワードとなるのが、「持続可能な観光まちづくり」。

 

実はこの視点は観光だけでなく、文化遺産の保全・活用を考えるうえでもとても重要です。

SDGsの観点から考えても、文化遺産の保全・活用には社会的(文化遺産の保全・活用と地域住民の幸福度)、環境的(環境に配慮した文化遺産の保全・活用)そして経済的(文化遺産の保全のための資金の確保)にバランスがとれている(持続可能性が担保されている)ことが重要だと考えています。

また、地域内外の人が観光という活動をきっかけに文化遺産の価値を再発見する、ということもあります。

岡田

平取町で進む森林プロジェクト、当事者が参加できる仕組みが鍵

岡田先生が関わっている文化遺産の保全と観光を通じた文化理解の促進に関するプロジェクトを紹介してください。

岡田:2019年に「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律」が施行され、今、アイヌの人々と北海道観光との関係は新しい段階に移りつつあります。各自治体がアイヌ文化を活かしたまちづくりや観光プロモーションに取り組んでおり、中でもアイヌの人々が多く暮らす平取町では現在、平取アイヌ協会、北海道森林管理局と協力しながら、森林空間を活用したアイヌ文化の伝承および振興を考えるプロジェクトが進んでいます。

私もプロジェクトメンバーとして参加し、関係者の対話を促すワークショップを開いたり、平取アイヌ協会の方々に「森林をどう活用したいか」個別に聞き取りをしたり、アンケート調査を行っています。

 

日本でも、先住民族の社会的・文化的・経済的エンパワーメントに資する観光が期待されていますが、アイヌの人々が誇りを持って暮らせる社会の実現に向けて、さまざまな利害関係者全員が納得できる回答を見つけ出すのは、決して簡単なことではありません。時間もかかります。

平取町の場合はアイヌ施策推進課という専門の部署が役場のなかにあり、平取アイヌ協会を核としたアイヌコミュニティの声を行政や関係諸機関が受け取る役割を果たしています。

この平取町のように地域の当事者が関わることができる接点を持つことが、「持続可能な観光まちづくり」の大きな鍵。

「持続可能な観光」の国際的な定義や、観光庁の「日本版持続可能な観光ガイドライン」にも地域住民の意見を尊重することの重要性が書かれています。

 

考古学の遺跡調査が過去の人々の営みに関する痕跡を土中から発掘するイメージだとしたら、私がやろうとしているのはその土地に現在進行形で息づく思いを掘り起こすこと、なのかもしれません。

平取町二風谷

平取町二風谷にある復元された伝統的家屋群(チセ)。その奥には、アイヌの生業にかかわる様々な資源を提供したり、精神文化の舞台となってきた森林が広がる。

観光する側も当事者の声を直接聞くことができる機会が増えるといいですね。

岡田:2020年に白老町に開設した「ウポポイ(民族共生象徴空間)」のお話をしますと、施設内ではスタッフの方がさまざまな形で展示物について説明しています。

たとえば、国立アイヌ民族博物館の「私たちのくらし」という展示コーナーにある伝統的なチセ(家屋)の解説の最後には、「現在の私たちは、伝統的なチセではなく、皆さんと同じようなチセに住み、同じような生活を送っています」という記述があります。

また、工房では木彫や刺しゅうなどのアイヌの手仕事に関する解説や実演が行われていますが、解説終了後にスタッフの方に質問した際、基本的な手仕事の知識だけでなくその方の文化伝承に対する想いもお話しいただきました。

アイヌ文化の伝統を大切にしつつ、自分たちは現代に生きていることの両方を発信しているように感じます。

岡田:そうなんです。和人の視点に置き換えてみても、外国から見た日本は着物文化の国ですが、だからと言って現代の日本で毎日着物が着られているかと言われるとそうではないことを皆が知っていますよね。

どんな文化も伝統をベースにしながら、変容・発展を繰り返して現代に続いてきたことを当事者の声を通して発信する。まだ始まったばかりの動きですが、まさに変容の第一歩を踏み出しているのではないかと感じています。

先住民族の思いや足元に眠る歴史文化の痕跡を実感しながら学ぶ

岡田先生のように研究者が観光まちづくりプロジェクトに参加する意義や役割は、どのようにお考えですか?

岡田:私が研究者として大切にしていることは、つねに学び続けることと異分野の人たちとの連携を絶やさないこと。
観光まちづくりはどの地域でも似たような課題を抱えており、他の地域ではそれをどのように解決したのかという事例を研究することは非常に意義のあることだと考えています。
他地域の多様な解決策をストックできれば、自分が関わっている自治体に還元できることも見えてくる。そこに研究者である自分が観光まちづくりに参加する意味を感じています。

 

それともう一つ、自分の役割を考えると、私は研究者であると同時に教育者でもあります。先日も学生を連れて阿寒湖アイヌコタンのフィールドワークに行き、観光を通じた文化伝承に取り組むアイヌの方々や観光協会の方、宿泊業の人にもお話を聞いてきました。

たとえ立場や利害関係が異なっても、地元の文化観光振興という一つの方向に関係者全員が向かおうとしていることを、学生たちも肌で感じ取ってくれたのではないかと思います。

実際に先住民族が暮らし、そこに関わる利害関係者が明確に見えている土地で歴史文化を学ぶことができるのは、北海道ならではの環境です。

こうした貴重な経験は、社会に出てからきっと役に立つときがきます。私が関わるプロジェクトで得た学びや知見を教育にフィードバックできることが、私自身の大きなやりがいになっています。

阿寒湖アイヌコタン実習

阿寒湖アイヌコタン実習の一場面。アイヌ文化ツアーで森林とアイヌ民族に関するガイドを熱心に聞く学生たち

最後に、岡田先生のおすすめ文化遺産観光スポットを教えてください。

岡田:すごく身近な例で驚かれるかもしれませんが、その質問の答えはズバリ、「北大の札幌キャンパス」です。

現在の中央ローン(札幌キャンパス南側に広がる緑地エリア)を流れるサクシュコトニ川は一度枯渇した水路に人工的に水を引いた復元河川ですが、キャンパス内を南北に走るサクシュコトニ川跡とセロンベツ川跡地近辺には、かつての人々の営みの痕跡が残る遺跡が多く確認されています。また、石狩アイヌのコトニ・コタンは現在の農学部からインターナショナルハウス北8条あたりにあったことが指摘されています。

近年はこうした北大という土地の歩みを紹介するキャンパスガイドも出版され、いま北大がある土地の歴史景観がどのように形成されてきたのかを知ることができます。

 

自分たちが学ぶ足元にどんな文化が横たわり、どんな人々が暮らしていたかを知ると、これまで何気なく見てきた景観もきっと変わって見えてくるはず。そこをきっかけにして、若いみなさんが歴史や文化の多様性に関心を持ってくれたら、と期待しています。

北海道大学キャンパスには、人類遺跡トレイルがあり、各所に解説パネルが設置されています。北大ができるはるか昔からこの地に暮らしてきた人々の営みを感じることができます。

プロフィール写真

岡田 真弓 准教授

所属:国際広報メディア・観光学院/観光学高等研究センター

専門分野: パブリック考古学、文化遺産論、人文・社会科学 こどもの時に読んだ本がきっかけで考古学に興味を持ち、大学と大学院で考古学を学ぶ。徐々に現代の人々と遺跡の関係性に興味を持つようになり、今を生きる人々が文化遺産、とくに考古学に関するモノ・コトからどのように歴史を解釈し活用しているのかを様々な角度から研究している。