教授 脇本 敏幸
所属:大学院薬学研究院・大学院生命科学院(薬学部)
専門分野:天然物化学
研究のキーワード:天然医薬品資源、海洋天然物、海綿動物、生合成、難培養微生物
出身高校:福井県立高志高校
最終学歴:東京大学大学院農学生命科学研究科
HPアドレス:http://www.pharm.hokudai.ac.jp/tennen/
※この記事は「知のフロンティア」第4号に掲載した記事を、ウェブ用に再編集したものです。
天然物化学とはどのような学問ですか?
古来より人は自然界の動植物が作り出す天然有機化合物を薬や染料などに利用してきました。ペニシリンの発見を機に微生物からも医薬品資源の探索が盛んに行われ、放線菌が作り出す抗寄生虫薬を発見した大村智先生が、2015年ノーベル生理学・医学賞を受賞されました。天然物には未だに人智の及ばない特異な構造と作用を有する化合物が数多く残っており、私たちの発見を待っています。一方で世界中の大学や製薬企業の研究者が陸上動植物や微生物を利用して医薬品資源の探索を行ってきた結果、比較的容易にアクセスできる生物資源に関しては、すでに膨大な探索研究がなされています。そこで、新たな天然医薬品資源の発掘を目指すため、化学者は海を目指しました。1980年代以降、海洋生物に含まれる医薬品資源の探索が盛んに行われた結果、陸上の生き物が有する化合物とは異なるユニークな天然物が数多く発見され、その中の幾つかはすでに抗がん剤などの医薬品として利用されています。
今後どのような成果が期待できますか?
天然物は生き物が作る化合物なので、天然物を生合成する機構が生物に備わっているはずです。それは生合成酵素であり、その情報をコードする遺伝子です。しかし、長らく天然物の生合成に関わる酵素や遺伝子の情報は不明でした。近年になり、ようやく詳細が分かりつつあります。遺伝子配列解読技術の発展に伴って、特に微生物に関してはゲノム情報が比較的容易に取得できるようになり、天然物の設計図である生合成遺伝子が明らかになってきています。 このような技術革新によって天然物化学の今後に新たな展開が期待されています。例えば生合成酵素の機能改変による非天然型の天然物様化合物の創製や生合成遺伝子を適切なホスト生物で機能させ、物質生産させることで天然生物資源に依らない天然物供給システムを作り出すことができます。実際に幾つかの成功例がすでに報告されています。
どんな研究をしているのですか?
私たちは最も原始的な多細胞動物である海綿動物を対象に生合成研究を行っています。海綿は付着性で動かない動物であるため、外敵から身を守る化学防御機構を備えていると考えられています。一方で、海綿動物から得られる化学防御物質(医薬品資源)の多くが海綿に共生する微生物によって生合成されることが長年疑われてきました。私たちはこの疑問に答えを見出すべく、海綿に共生する生産菌の同定を目指して研究を進めています。伊豆諸島に生息するTheonellidae科のTheonella属、Discodermia属海綿に着目し、これら海綿動物に由来する生物活性物質の生合成遺伝子ならびに生産菌を探索しました。その結果、Theonella swinhoeiおよびDiscodermia calyxの2種海綿において、共生バクテリアEntotheonellaが生物活性物質の生産菌であることを明らかにしました。このバクテリアは全く新しい仲間に属し、非常に多様な医薬品資源を生産する能力を有します。しかしながら、未だ実験室では培養することができません。このような難培養微生物は、実は地球上の微生物の90%以上を占めることが最近分かってきました。つまり、培養可能なごくわずかな微生物から私たちはすでに抗生物質などの数多くの医薬品を得てきたのです。一方で、培養できない微生物からの天然物探索はこれまでほとんど行われておりません。今後は地球上の膨大な未開拓生物資源である難培養微生物からの天然物探索の手法を確立したいと考えています。
次に何を目指しますか?
これまでの天然物化学は天然物の探索やその合成などを主軸に展開されてきました。近年になり、さらに生合成研究が強力なツールとして加わっています。化合物に始まり、それを合成する酵素、さらにそれをコードする遺伝子と繋がり、天然物の生産機構が明らかになることで、なぜ生き物が生物活性物質を作り出すのか、という根源的な疑問にも答えられる時代が近づいてきている気がします。生存競争を生き抜く生き物が作る化合物に無駄なものはないと考えています。それぞれの代謝産物に意味があると思いますが、その意義のほとんどは今の私たちには分かりません。自然界の動植物がなぜ、生物活性物質を作り出すのか、どのような生存戦略に基づいて生合成されるのか、を理解することによって、微生物や海洋生物に限らず、生薬や薬用植物などの効能の解明や、より効率的な天然物の医薬品応用が可能になると考えています。
参考書
脇本敏幸:カリクリンの生合成 「天然物の化学 -魅力と展望-」(上村大輔 編) 東京化学同人 p.61 (2016)