博士研究員 福山 貴史
所属:観光学高等研究センター
専門分野:観光学
研究のキーワード:北極域、サーミ民族観光、アドベンチャーツーリズム、トナカイ放牧、雪氷と人間
出身高校:仙台向山高校(宮城県)
最終学歴:北海道大学大学院 国際広報メディア・観光学院
どんな研究をしているのですか?
北極域におけるサーミ民族観光の取り組みを、地域のサステイナビリティやレジリエンスの視点から研究しています。私たちが調査フィールドとするフィンランド北部のイナリの一部地域において彼ら彼女らは、生業とするトナカイ放牧の傍ら、サーミ文化が息づく日常生活に、小規模ながらも世界各国から観光客を招き入れ、そして魅了しています。例えば、観光客を雪氷の中スノーモービルで森林深くまで連れて行き、そこで放し飼いにされる数百頭のトナカイに囲まれながら、8名限定の参加者と共に焚き火を囲み、そこで真正なるサーミ文化について熱くお話しし、そして真摯に質問に答えます。これはまさに本物の観光体験と言えるでしょう。しかし昨今、残念ながら北欧では、本来は無縁であるハスキーによる犬ぞりなどのいわゆる偽物のサーミ民族観光が、とくに団体旅行の間で横行しています。よっていま観光の分野では、先住民文化やその観光の真正性が問われているのです。
一方、観光分野のグローバルトレンドの1つに、アドベンチャーツーリズム(AT)があります。ATの特徴には、その言葉が招きやすい誤解は別として、少人数、長期滞在、地域の自然と文化を敬う、高額消費、そして何より本物志向が挙げられます。ATは持続可能な観光形態として、いま世界が注目しています。一般にATは海外客中心で、そのマーケットは約1兆円と言われており、このマーケットが世界中の本物体験を求めているのです。私たちは、このATの枠組みをサーミ民族観光の真正性に適応できるという仮説に基づき、調査や分析を進めています。しかしながらCovid-19の影響で、イナリ地域においても約2年に亘って海外からの観光客は途絶えました。そこで私たちは、地域レジリエンスの視点から、サーミ民族観光におけるフィンランド国内のATマーケットの可能性の検証を掲げたのです。実際には、これまでのヒアリング調査から、多くの関係者がその意義とポテンシャルを認めつつも、それはかなり厳しい挑戦であると認識しています。しかしながら、私たちはその可能性の検証が、脆弱とされる観光分野における有事の際のしなやかな地域の適応策に貢献できるという信念をもって、今後も多角的な調査・分析を進めていく所存です 。
どのような研究成果が期待できますか?
まず学術的には、ATの枠組みに基づき、サーミ民族観光における本物体験の位置づけについて、イナリ地域のケーススタディを通じた観光学的な説明が詳細にできるようになります。その本質的なポイントは、たとえば未来を見据えた過去の伝統と現在の進化形の文化融合です。また、ホストとゲストの相互作用による価値共創の考え方の援用も見据えています。そのため、私たちは現地において、Sami Parliament(議会)、Siida(博物館)、Sayos(文化施設)、ARCTISEN(Culturally Sensitive Tourism in the Arctic)、Sami Education Institute(職業訓練校)など、サーミ民族にかかわる多様な地域関係者とのネットワークをすでに構築し、調査を進めています。また、ラップランド大学の北極域センターや社会科学部を始めとした複数の研究者との共同研究も現在萌芽的な段階にあります。本研究は、ArCSⅡ(北極域研究加速プロジェクト)採択後、2022年4月にスタートしたばかりですが、このようなネットワークを土台とした研究の深化が期待されています。
つぎに社会実装の観点から、私たちは2024年2月にFAMトリップの開催を予定しています。これは、真正なるサーミ民族観光の文化体験メニューで構成された2泊3日のモニターツアーです。フィンランド国内の複数の観光組織、およびイナリ地域内の関係者らと連携しつつ当企画を始めましたが、このツアー内容が海外はもとより国内のATマーケットに対して価値訴求し得るものかどうか、観光の現場のプロの視点からのフィードバックをもらい、それらを徹底的に分析・考察した上でその研究成果をイナリ地域に還元いたします。
この研究を始めたきっかけは何ですか?
実を言えば、私自身のそもそもの研究分野は、直接的にはこうした北極圏の先住民族観光ではなく、観光資源開発に貢献し得る「雪氷観光」の創造プロセスであります。2013年以降、とくに北海道紋別市における流氷観光とスウェーデンキルナ市におけるアイスホテルの開発プロセスを(観光)資源論に基づき比較研究して参りました。その寒冷に関わる研究活動において、学内の北極域研究センターや工学研究院とのご縁があり、北極域観光の課題抽出という3年間の共同プロジェクトを完遂させ、その成果が土台となって今回ご紹介するプロジェクトの採択に至りました。その経緯と現状から今思うことは、雪氷に囲まれた寒冷地域における研究内容は、雪氷と人間の関わりという共通点から、どれも互いに関係性があるということです。その上で、北欧と、親和性の高い北海道との比較研究の意義の高さを実感しているところです。本プロジェクトは北極域に位置するイナリ地域のサーミ民族の観光の取り組みの研究が主ですが、副次的に北海道の阿寒地域のアイヌ民族の観光との比較分析も視野に入れています。
今後さらに何を目指しているのですか?
以上に説明した本プロジェクトの概要をSDGsの観点から私なりに解釈すると、端的には下記のようになります。
- SDG8:真正なるサーミ文化(の伝承)を誇りとしたトナカイの生業に付随する観光業収入
- SDG10:先住民族を含めた全ての人々の社会経済的格差等の是正
- SDG11:温暖化やCovid-19などの環境変化に対する地域レジリエンスの涵養
- SDG13:観光の機能を利用した気候変動の緩和、適応、影響軽減などに関する教育や啓発活動
- SDG15:トナカイ放牧や観光のためのサステイナブルな土地の利用とマネジメントの促進
- SDG17:以上を包括したSDGsに関するベストプラクティス推進のための国際共同研究
例えば11や13に関連して、サーミ民族によるトナカイ放牧と観光の取り組みは、冬季の雪氷の明らかな融解増進・減少によって気候変動によるネガティブな影響を実際に受けています。そのため、こうした観光活動は、観光を楽しむ観光客に対して、温暖化の緩和の意識向上を同時に促すものとも考えられます。これが大切な観光の機能の一つです。この機能は、たとえば警鐘を鳴らすことよりもポジティブで効果的なアプローチであると私は考えています。
このように見れば、本プロジェクトの延長上には、もっと大きな視野でSDGsと向き合っていく研究の可能性が含まれています。それは持続可能な地球環境を、雪氷と人間、または雪氷と観光を通じて皆で一緒に考えていけるという可能性です。雪氷に直接関わる観光活動や観光研究を通じて雪氷自体の価値を高めていくことは、将来的に一人でも多くの人間の内に温暖化で融解していく雪氷を護ろうとする意識を醸成し、そして地球規模のSDGsを身近に考えようとする姿勢につながっていくと期待できるでしょう。そうした大きなビジョンを描きながら、いまは北極域に暮らすサーミ民族の暮らしや文化を観光の視点から真摯に研究していく所存です。
◉北海道大学社会共創部広報課による本プロジェクトの紹介