教授 加藤 悟

所属:サステイナビリティ推進機構

専門分野:環境政策

研究のキーワード:SDGs、サステイナビリティ学、高度教養教育、環境学、製品ライフサイクル学

最終学歴:東京大学大学院工学系研究科

HPアドレス:サステイナビリティ推進機構

※2024年8月21日公開

これまでの研究活動とサステイナビリティの関係を教えてください

私が大学に入学した1988年、それも4月20日に、アメリカのジェームズ・ハンセン氏が自らの研究に基づき、アメリカの議会で「アメリカの猛暑の原因は地球温暖化によるもの」と証言し、ハンセンレポートが出されました。このニュースを耳にしながら、「環境工学科」では水処理、廃棄物処理、排ガス処理、地域計画など、ローカルな環境問題を解決するための工学を学びました。大学在学中に地球環境問題は、国際的なトピツクとなり、私が大学4年生となった1992年6月には、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロで地球サミット(環境と開発に関する国際連合会議)が開催されました。「Think Globally, Act Locally」の標語も頻繁に使われるようにり、社会的トピックとなった地球環境問題と、大学で取り扱っている地域環境問題をどう結びつけるかが気になりました。

 

1994年に東京大学の博士課程に入ると、ちょうどAGS(Alliance of Global Sustainability)が始まり、東京大学とMIT(マサチューセッツ工科大学)とETH(チューリッヒ工科大学)の3つの大学でサステイナビリティについての交流が始まっているところでした。私はまだ博士課程の学生でしたから、公開イベントに参加する程度でしたが、世界の最先端研究者がサステイナビリティを意識していることを目の当たりにしました。ただ、日本では1994年頃は廃棄物問題がトップイシューになっていて、3Rという言葉をどう実現するか、政策に反映させるかが議論になっていました。1991年に再生資源の利用の促進に関する法律(再生資源利用促進法)が制定され、まずはカン、ビン、ペットボトルに代表される飲料容器や、過剰包装問題となっていた包装材についての法律策定が急務の課題になっていました。

 

この時、学生ながら東京のシンクタンクで客員研究員の身分をいただき、リサイクル政策立案の仕事に携わり、東京大学で学位を得てからも、メンテナンス工学、インバース・マニュファクチャリング、ライフサイクル工学など、廃棄物削減の研究に従事してきました。1999年12月に第一回のエコプロダクツ展が東京ビックサイトで開催され、それを見にお台場までゆりかもめに乗って行ったことを強く覚えています。

 

その後、独立系シンクタンクの経営が、社会の変化とともに厳しくなり、大阪大学でプロジェクト従事の職を得て、環境リスクに関する教育を行いました。新たにカリキュラムやシラバスを作り、獲得するスキルスタンダードなどを組み上げていきました。まだ、オープンバッジやマイクロクレデンシャルが一般的でなかった時期ですが、講義ごとに獲得できるスキルを明確にすることと、総合力を習得することなどの教育システムの構築を行いました。社会人と大学院生が一緒に学ぶという先進的な取り組みも行いプロジェクトは高い評価を受けました。

SDGsに関する教育を本学の学生だけでなく、小中高生や社会人、企業人にも行う

現在はどの様なことに取り組んでいますか

科学者であり、研究者でありたいと思っているので、自らの探求心とロジカルシンキングは捨てたくないと考えています。自由にいろいろなことを考えるけど、気になったことはとことん調べます。そして、少しでも環境がよくなり、サステイナビリティの可能性が上がり、人々の活動や試みが報われる社会の構築に寄与したいと考えています。

0から1を生む天才研究者もいるけれど、多くの研究者は、既存の研究を発展させたり、実証実験をしたり、1を10にする研究に従事しています。

本当の研究者は、研究論文を書くことが最終ゴールなのですが、私は社会実装することがゴールと考えているので、その意味では研究者としては失格です。でも、科学者や研究者の手法で、社会全体のサステイナビリティを高めることに貢献したいと考えています。現在は、大学運営組織である北海道大学サステイナビリィ推進機構に所属しており、自らSDGsに関する教育を本学学生だけでなく、小中高生や社会人、企業人にも行うほか、大学全体のSDGs活動の情報発信、大学の教職員が行うことのできるSDGs活動の企画・運営、企業との共同研究指導などをメインに行っています。

環境省の枠組みで考えると、環境分野では、脱炭素、ごみゼロ、自然共生、安全安心が4本の柱になります。SDGsの枠組みでは、環境、社会、経済とパートナーシップが4本の柱となります。これに合致したことであれば何でもするという姿勢でいます。

具体的には、学部生と院生に必修科目の一コマとしてSDGsの講義をオンデマンドで行ったり、英語でSDGsの授業をしたり、留萌教育局と連携して高大連携活動をしたり、大学のFD、SD活動のお手伝いをしたりしています。また、研究ではいまはネイチャーポジティブに関して企業と共同研究や再生可能エネルギーシステムについての研究も行っています。その他、大学債の発行や、新しい分野横断教育プログラムの構築、法政大学と関西大学と一緒に大学連携教育活動などを企画運営しています。ただ、主な業務は北海道大学のSDGsに関する情報発信と窓口機能としてのコーディネーターなので、イベント参加やイベント企画、メディアからの取材取り次ぎなどに主な時間を割いています。

留萌教育局との高大連携活動では高校生に炭素中立、循環経済、自然再興について解説

 

次に何を目指しますか

SDGsは2030年までの目標と言われていて、その後のことを心配する人もいますが、私は1988年からサステイナビリティ関連のことをずっと行っています。授業では、1972年のストックホルムで開催された国連人間環境会議から世界はずっと環境問題に取り組んでいるという話をしています。Well-beingで言えば、1946年に採択されたWHO(世界保健機関)憲章に、Well-beingが定義されています。だから2030年以降も概念としてのSDGsは必ず継続されます。

iPhoneが登場したのは2007年です。まだ20年も経っていませんが、日本では約90%(2023年)、世界でも約70%(2023年)の普及率となっています。生成AIのChat GPTは2022年秋に公開されて2年も経過していませんが、企業や行政サービスでも活用され、検索エンジンのBingやウェブブラウザのEdge等の幅広いサービスで生成AIの技術が導入されています。AIが進化して人間の知性を超える転換点はシンギュラリティと呼ばれ、これまでは2045年と言われていましたが、人によっては2030年頃に来るという研究者もいます。

AIなどの情報化は、人類すべてに平等なサービスを提供するとも言われていますが、情報インフラの普及状況や、AIを使いこなすための基礎教育の状況によって、すでに存在する格差は大きく拡大するでしょう。MDGsは途上国と先進国の二分法だったものが、SDGsではuniversalとなりましたが、途上国と先進国の格差は決してなくなったわけでも縮まったわけでもなく、未解決の問題として社会に存在し、脆弱な社会構造を形成しています。

もう一つは文化。いま世界で先住民文化の尊重が掘り起こされています。異文化に触れることで自らの文化も再認識が行われます。UNESCOが2001年に採択した「文化的多様性に関する世界宣言」では、文化の多様性は人類共通の遺産であることと、想像力は複数の文化の接触に開花するものであると示されています。多様な文化を尊重し合い、自由な活動や挑戦が保証される社会の構築に、なにがしかの貢献ができればと思っています。

北海道内の再生可能エネルギーの潜在能力等を活かしたグリーントランスフォーメーション(GXも推進している   リニューアブルエナジーリサーチ&エデュケーションセンター(REREC)設置の記者会見の様子